音の正体は目に見ませんが、脳を直撃します。

空気振動で伝わる音(正確には波動)が、開きっぱなしの耳に入り、鼓膜を震わせ、電気刺激となって、脳に取り込まれるからです。その間、コンマ数秒の出来事。音(正確には聴覚刺激)が脳で知覚されるやいなや、瞬間に特定の印象が生まれます。じぶんの好き嫌いであったり、過去に経験した出来事などが影響します。目に見えない音は、見えないがゆえに、異様なほど、人の心に深く作用しているのです。

そのような力を持つ音ですから、音のすべてを感じ、いちいち反応していたら、身が持ちません。それゆえ、脳は、耳から入り込んできた音の刺激を、ほぼ自動的に間引く特徴があります。「あの音は好きだから、もっと感じよう」とか、「この音は身の毛がよだつから、感じないでいよう」とかいった判断の前に、すでに脳が、取り込むべき音とそうでない音を選別しているのです。ほぼ無自覚に自律的に、です。

不思議に思いませんか? その疑問が、ぼくが音の世界に惹かれる大きな理由です。ふだんわたしたちは、目立った音しか気づいていません。音楽とか、人の声、といった類いです。それらの音は、「何らかの意味(あるいは効用)をもたらせる」ものとして、ありがたく脳に取り込んでいるわけです。

その一方で、目立たない音は、完全にスルーしています。クーラーや扇風機の音、外から聞こえる街の音…。こうした音は意味のない音として、脳には入ってくるけれど、無視しています。けれどもスルーされている音の中にこそ、人間の心に滋養を与えるような、重要な栄養分が含まれているのです。

例えば、川の音。なにげなく耳に入ってくる音ですが、水が流れる音には多様な周波数成分が含まれています。聴覚は他の感覚にも相互作用しますから、水の音を聞いて涼しさを感じたり、視覚的に風景を想像したりして、人に安らぎをもたらせます。

他にも何気なく聞こえてくる音で、好きな音はあるでしょう。木々の葉擦れや鳥の声、波の音も気持ちを大らかにさせてくれます。人に情報としての意味をもたらせる音だけが大切ではありません。その周囲を漂う目立たない音の存在も欠かすことはできないのです。

京丹後地方、経ヶ岬の屏風岩海岸

現代人は、こうした「無意味な音」を、どんどん遠ざける傾向にあります。その主因はメディア機器。スマホ、テレビ、PCの三大機器です。おもに視覚情報を受け取ることに、わたしたちは一日の多くを使っています。つまり、情報を目から取り込むことに、脳の性質が特化してしまっているのです。

そこで疎かになっているのが、耳の存在。一度に取り込める文字的な情報量としては、聴覚よりも視覚の方が断然多いので、便利さを追求するあまり、視覚から多くの外界情報を得ています。そのとき、耳はまったく使っていません。イヤホンで音楽を聴いたり、ニュース(人の声を介した情報)を聞いているときに、耳を使うくらいでしょうか。

たとえ音を聞いているにしても、じぶんの目的に沿った音、つまり意識的に取り込もうと自主選択している音の世界ばかりに、注意を向けています。じぶんの好きな音楽や、聞くべきニュースの解説、電話を通じて受け取る話者の声など。目からも(ときに耳からも)、意識的に選択している感覚世界にばかり浸っている傾向が、現代人は強いわけです。

すると、大きな問題が発生します。じぶんに興味のない世界に関心を向ける機会が減ってしまうのです。それ以外の感覚刺激はノイズ、あるいはやっかいなものとして、無視したり、ときには攻撃をかけて追い払う対象にすらなる場合もあるのです。

人と人が円滑にコミュニケーションをしたり、外界からやってくる危険な状況を察知するためには、無意味と感じる音の世界が欠かせません。人の会話も、ただ伝えたいことを正確に伝達するだけのものではないのです。いつも出会う人であれば、その人を気遣ったり、何か異変を感じるとき、つねに意味として捉えられない音を鋭敏に聞き取っています。「声がいつもとくらべてハリがないな」とか、「咳払いが多いから体調が悪いのかな」とか…。そうしたノンバーバルな情報を、無意識のうちに掴み取っているのです。

あるいは、街の沿道を歩いているとき。突然やってくる車やバイクの音を即座に感じ取り、危険な状況から身をかわすことは、よくあることでしょう。外界の感覚をいち早く察知することで、身の危険から一刻でも早く逃れるきっかけをつくるのが、聴覚刺激。それほど音の世界は、私たちの生活を支えているのです。

音は目に見えない存在。だからこそ、注意力と想像力を働かせて、その正体を意識し、ふだんの生活に役立てる工夫をしなければならないのです。とはいえ、なかなか意識するのが難しい場合は、こんな耳のトレーニングをしてみてはいかがでしょうか? 

トライアングルやピアノ、仏壇の鏻(りん)などの「音が持続する物体」を使って、音をひとつ出してみましょう。そして、音が消える瞬間を、静かに待ちます。音が消えたかな、と思ったら、お互い手を上げて、その瞬間に漂う音の世界に耳を傾けます。ふだん私たちが意識しない「意味を見い出せない音」に注意を向けることで、私たちが感じるこの世界の印象が、大きく変わります。

耳が研ぎ澄まされたと感じたら、1分間に聞こえてくる音の名前をリストにしてみたり、音の数を数えてみてもよいでしょう。その場所にいる人と一緒にやれば、人が感じる音の世界に触れることもできます。音の感じ方を共有することは、音の問題や魅力に気づくためのよいチャンスです。ちょっとしたタイミングを見つけたり、休憩の時間を使って、音の魅力に触れてみると、世界がもっと違って聞こえてきます。

メディア表現学部では、こうした音の環境にまつわる研究や実践活動を、ともに行っていきたいと思っています。担当授業は「サウンドスケープ(音の風景)」論。今よりもっと耳を拓いて、人生を豊かにしてみませんか。